“戸塚ヨットスクール事件”における体罰への科学的な反証について
戸塚ヨットスクール事件とは
まず”戸塚ヨットスクール”の事件はご存知でしょうか。知らない方のためにWikipediaをそのまま引用させていただくと、
1983年までに愛知県知多郡美浜町のヨットスクール「戸塚ヨットスクール」内で発生、発覚して社会問題に発展した一連の事件
という事件であり、5名が亡くなっている。
ちなみに、こちらのYouTubeの動画内では”事件”ではなく、”事故”と主張しており、亡くなった方の死因は全て病死と話している。
今回の記事を書こうと思った経緯
今回この記事を書こうと思ったのは、強い憤りとか戸塚ヨットスクールに対する抗議などではなく、自分自身のためである。戸塚ヨットスクールの校長である戸塚宏氏(以降、戸塚氏とする)は、メディアに出演された際に「理科系」「科学的」などと発言しており、自身のアプローチは科学的な方法論にも基づいて行っていることがうかがえる。
そこで、改めて現代における科学的に最適な方法とはどんなものなのか、戸塚氏の方法論は果たして科学的に正しいのかどうかを調査してみたいという個人的な思いによりこの記事を書こうと思った。
これから書く記事にあたりましては、あくまで私個人(素人)が調査した結果であり、絶対的な正しさではないことをご理解の上読んでいただけますと幸いである。
YouTubeで閲覧できる戸塚氏の“科学的”という動画内の発言について
それではまず戸塚氏が、YouTubeで閲覧可能な動画(AbemaTVなどに出演されているもの)において度々口にする”科学的”ということについてだが、これは科学的な根拠があるかは謎であると考えられる。
確かに”再現性”という言葉は科学的であるというのを満たすために欠かせない要素の一つであるが、それだけでなく他にも”信頼性”や”客観性”も必要である。
また戸塚氏の方法論が科学的なプロセスをもって検証可能かという問題は置いておくとして、恐らく(私が閲覧した中での)メディアからの発言では、”科学的”な要素を満たしていないと感じる。
さらに、戸塚氏は「理科系」の対として、「文化系」を取り上げ、「哲学は科学ではない」と発言していたが、哲学が科学的であるかは置いておくとして、彼の方法論には少なからず科学的な根拠はないとうかがえる。彼が根拠として持ってくる話は歴史に関連した話が多く、私の聞いた限りでは研究やその他客観的なデータを出しているところをみたことはない。
考えを持つことは自由であるが、戸塚氏の発言の多くが矛盾していると言わざるをえず、私の理解不足もないとは言えないが、戸塚氏の考えへの理解には時間がかかる。
メディアに出演された際に度々発言している「言葉の定義は?」という発言から、言葉の定義を大事にしているのであれば、”科学的”という言葉を使用する際も慎重に扱ってほしいというのが切な願いである。
余談ではあるが、科学的だからといって全ての研究やデータを間に受けてよいわけではなく、研究方法やその背景にどのような団体がいるのかなども重要であり、今回の件に限らず一概にどちらの考えが正しいと断言するのは難しい。
また時が経つにつれて結論が覆ることも珍しくなく、さらには私のような素人によって情報が捻じ曲げて伝えられてしまい、誤った情報が流布することも珍しくない(汗)
2015年の論文では、心理学の研究の6割が再現不可能という有名な出来事もある。
ということで脱線したが今回の記事で書きたかった体罰についてここから書いていく。
体罰におけるメリット・デメリット
戸塚氏の体罰の定義は「相手の進歩を目的とした有形力の行使」というようだ。なるほど…
確かに戸塚氏が相手に対して、進歩を目的として行っていたのならそれは否定できない。だが、果たして体罰が本当に、相手を進歩させるのだろうか。
ということで体罰についてだが、上記の戸塚氏の定義は、戸塚氏自身の定義であり、その行動の状態を指すものではないと思うので、ここでは客観的に観察可能な行動として、体罰を
注意や懲戒の目的で私的に行われる身体への暴力行為である。
というWikipediaに掲載されていた個人的にわかりやすいと感じたものを採用させていただく。
学習心理学について
心理学の基礎領域の中に「学習心理学」というものがあります。用語が非常に難しく、なかなかとっつきずらい領域なのですが、今回の記事では、この学習心理学の角度から体罰について考えてみようと思います。また学習心理学は、科学的な根拠が多く存在し、臨床でも用いられている認知行動療法などの根幹をなす行動理論の礎となった領域です。身近な例でいうと、犬のしつけがあげられます。
どういうことかといいますと、犬にお手やおすわりなどの芸を覚えさせるときに、しかりつけて教えるでしょうか?殆どの方が、ごはんやおやつなどで、出来たときにそれを与えるということをしているのではないでしょうか。
これが学習心理学における、「強化」というものです(具体的には正の強化といいます)。逆に、犬が吠えたときに、犬が嫌がるような音を出したり、脅かしたりしてやめさせようとします。それによって犬がその行動をしなくなることを「弱化」といいます(正の弱化といいます)。
他にも、負の強化、負の弱化というものがあります。
ここでの正というのは、「何かを与える」こと、負というのは「何かを取り除く」ことと言い換えてください。そして、強化というのは行動が増加すること、弱化というのは行動が減少することです。
今回の話で必要なのは正の強化と正の弱化です。
体罰はどれに当てはまりそうでしょうか?
そうです。正の弱化です。
人間の行動は無意識のうちにこれらの行動が関連して成り立っているといえます。先程の例でいうと、犬に対して人間が働きかけているようですが、人間もまた犬の行動によって強化や弱化を繰り返しているのです。
つまり犬にご褒美(専門的には強化子)を与えることによって、犬が意図したように芸をする=>それによって、人間も犬に餌を与えるという行動が強化されるという流れですね。
では、体罰を容認する人たちはどのようにして体罰が”強化”されてしまったのでしょうか。それは体罰のメリットと、60秒ルールによって推察することができます。
体罰におけるメリット
え?体罰にメリットがあるの?と驚かれた方もいるでしょうし、体罰を容認されている人は、そうだよなと思ってしまうかもしれませんが、最後まで読んでいただけると幸いです。
まず体罰によって、対象の相手は不快感を感じることでしょう。そこで生じるのが、正の弱化です。つまり、体罰のメリットとしては、その行動を短期的において抑制することができる可能性が高いというわけである。
これがメリットであるが、では体罰を受けた人はどうなるのだろうか。果たして戸塚氏の言うように進歩されるのだろうか。
答えはNoであるといえる。
いや、少なくとも現在実証可能な範囲においては、体罰には相手を進歩させる効果は期待出来ないのではないかと考える。
体罰のデメリット
おさらいする。戸塚氏の体罰の定義は”進歩を目的とした有形力の行使”である。
しかし、実は体罰は”科学的”に悪影響を与える可能性が高いとされる。感覚的には多くの人が体罰が良くないものだと感じているだろうが、これが”科学的”に実証されているのだ。
Gershoff, E. T. (2002)のメタ分析では、体罰によるしつけを受けた子どもは、攻撃性の増加や精神的健康の低下などの悪影響を与える可能性があることを示されたという。
このメタ分析での研究対象は親子間のしつけであり、また、痣が出来るほどの虐待的な暴力については除外されていたりするため、この研究から全ての体罰における悪影響を示すと断言することは難しいが、体罰によるしつけが子どもの長期的な進歩に結びつかないという根拠の一つになるのではないだろうか。
また体罰におけるデメリットとして、体罰の悪循環があると考える。
体罰のメリットの際に記載したように、体罰はよその場で行動を制御しやすいといえる。そのため、体罰をすることで、望んでいた結果が得られた際には、体罰をする人にとってはそれが強化子になり、体罰を学習するといえる。
逆に体罰をうける側からすると、
殴られる=>勉強をする=>殴られない
という流れができる。学習心理学では上記のようなものをABC分析と呼ばれる。
つまりこれは、負の強化になっているということです。勉強をすることで、殴られない状態になり、不快な要素が取り除かれるためです。
逆に、体罰をする人は
勉強をしていないAさんが視界に入る=>殴る=>Aさんが勉強をする
という流れができると考える。この場合は、殴る行動によって殴った相手が勉強をするという正の強化が起きている。
ちなみに全ての行動がこのように綺麗に学習するものではなく、時々失敗したり人によっては異なるということもあるが、詳しく知りたい方は強化スケジュールについても調べてみると良いと思います。
例でいうとパチンコで、必ず当たるとは限りませんが、時々当たることによって強化子が得られ、この時々当たる頻度によって行動が強化されるというものです。
戸塚氏の考えに対して思うこと
戸塚氏の全ての考えを否定するつもりはないし、そもそも戸塚氏の考え方について私の認識が誤っている可能性も否めないが、私が聞いた戸塚氏の発言の中で唯一”科学的”に正しいと感じたものは、「不快感に身を置く必要がある」というようなニュアンスのことである。その不快感を与える例の一つが、戸塚氏にとっては体罰のようではあるが。
これは曝露療法(エクスポージャー)という手法に通ずる考え方であり、この療法は実際の臨床場面でも活用され、数多く研究されている。
本記事で詳細は書かないが、不快な場面でも人間がその行動に進んで挑戦しようとするための方法もあり、それらをパッケージ化したものの一つとして代表的なのが、アクセプタンス&コミットメント・セラピーである。詳しく知りたい方は是非調べてみてください。
まとめ
今回の記事を書くにあたり体罰を科学的な観点で調べたことによって、どのような影響を与えるのかという根拠を知ることが出来た。また、学習心理学による体罰のメカニズムについても考察することができた。
本記事では、戸塚氏の体罰における考えは”科学的”に正しくない可能性が高いという結論ではあるが、彼の全てにおいて否定的で、正しくないとは考えない。(もちろん肯定もしないが)
また、体罰や虐待というのは加害者も被害者的な側面があるということだ。
加害者に対して全面的に寛容的になれとは言わないが、物事には様々な事象が複雑にからみつき、それこそ研究において実証することが難しい場合も少なくなく、また研究一つをとってもその対象者、研究手法などによって再現性や信頼性が低い場合も少なくない。
つまり一つの側面だけをみて全てを断定的に結論づけるのはあまりに早計ではないだろうかということを考えた。
かといって、完璧主義的な状態も息苦しいと思う。
と乱雑なまとめになってしまいましたが、つくづく生きるというのは難しいと感じましたね(←考えが浅い)。
学習心理学者のスキナーの『罰なき社会』を引用して本記事を終わりにしてみます。(吉野, 2018)の記事の書き方を真似させていただきます🙇
『もし、正の結果だけによって、人々が知識や技能を獲得し、生産的に働き、お互いが良好な関係を結び、生活をエンジョイすることができるならば、国際的な事柄に従事する人々も罰的でないやり方をもっと有効に用いることができるようになるでしょう。戦争に訴えようとするのは、不幸で怯えている人たちです。幸福な国家間の国際協調がより良い結果を生むはずです。』
参考文献
- 体罰を科学する(山本宏樹, 2016)
- Gershoff ET. Corporal punishment by parents and associated child behaviors and experiences: a meta-analytic and theoretical review. Psychol Bull. 2002 Jul;128(4):539-79. doi: 10.1037/0033-2909.128.4.539. PMID: 12081081.
- 罰の効果とその問題点─ 罰なき社会をめざす行動分析学(吉野 俊彦, 2018)
反省🙇
ですます調の統一感がなく、今後は統一させていこうと思いました。
最後まで読んでいただきありがとうございました!!